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24歳になりました。現在は名古屋市内もりたかしぜん館にて生活しております。体重も標準であり、これといった問題点もなく楽しく生活しております。 20歳過ぎに大人の施設を探し出して1年半後に幸運にも見つかりました。大変にラッキーでした。男1人(妻18年前死去)の生活の為に、はじめの事が一番心配しておりました。子供もあと2人いますが、遠方の為になおさらでした。私自身も現在65歳になりました。60歳代はまだまだ健康でもありましたので、親の会代表を引き受けました。その為に障害児の置かれている環境が如何に大変かも多少理解できました。年1回の愛知県障害児大会にも参加しております。子どもは現在喫茶店の皿洗いをしております。少しでも社会との繋がりがもて、ありがたく感じています。
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エンジェルの皆さんこんにちは!玉村海瑛(みあき)です。とてもわんぱくで、いたずらっ子のぼくは、たんこぶが絶えません。お母さんはいつもハラハラしてるみたい。今は発達センターの訓練とあおぞらに通ってるよ。お父さん、お母さん、お兄ちゃん(中1)、お姉ちゃん(小3)の5人家族だよ。みんな「かわいいかわいい~」って、ぼくの笑顔にメロメロなんだ〜。 待望の第3子がお腹にいることがわかり、私達家族は誕生を心待ちにしていました。夜中の3時頃家族皆で産院に向い見守ってもらう予定でしたが、なかなか生まれずお兄ちゃんは学校へ。お姉ちゃんは「一緒にいる」と言うので、保育園を休みずっと側に・・・。14日午前11時過ぎ、やっと生まれホッとして「うれしい!」と思ったのも束の間、すぐに私の胸に乗せられた我が子の顔を見ると、上唇が切れていたのです。(口唇口蓋裂)その瞬間うれしさは一気に吹き飛び、頭の中は真っ白で何かどんよりしたものが広がりました。「なんで?なんで?・・・でも大丈夫!今の技術なら手術すればきれいになるよね・・・」そう自分に言い聞かせていました。(主人も同じように思ったみたいです)そんな時、お姉ちゃんは素直に「かわいい~」を連発して、頭をなでたり、体を触ったりとても喜んでいて、その姿が本当にうれしく私の心の救いでした。 複雑な気持ちのまま迎えた翌朝、心疾患の疑いがあるということで、親子共午後にはトヨタ記念病院へ。そして海瑛はNICUへ。検査の結果は心室と心房の中隔欠損症。それから約1ヶ月間の入院生活を送り、退院前に「ダウン症」という事を知らされました。思ってもみなかったのでびっくりしましたが、ショックというより「そうなんだ~」という感じでした。その時の日記にはこう記してありました。“現実を受け止め、前向きに・・・。私達の子ども、かわいいかわいい我が子なのだから大切に育てていきたいな”と。 私には不思議に思っていることが1つあります。私が退院して家に戻った時、日めくりは海瑛が生まれた14日のまま。そこには“いくつになっても神さまの子ども”という言葉が書かれていたのです。海瑛は我が家に来るべくして授かった子なんだなあという思いがするのと同時に、時折神さまから預かっているような変な感覚になる事も・・・。何とも不思議な感じなのです。 今は心臓の手術も口唇口蓋裂の手術も無事に終え、元気いっぱいです。「天真爛漫」という言葉がピッタリと思うくらい、よく笑い、よく遊び、よく食べ、よく寝て、ゆっくりですがすくすくと成長しています。最近はピアノを弾きながら歌うのがマイブーム。(とっても上手なんですよ!)とにかく手遊びや音楽に合わせて体を動かすことが大好き。人形の戦いごっこでは自分はウルトラマン、相手には怪獣を持たせてやっつけることを楽しんでいます。意味のある言葉は「マンマ」「バイバーイ」「あよー(おはよう)」「ま~(いただきます、ごちそうさま)くらいしか言えませんが、たくさん話しかけると、何やらぺちゃくちゃと声を出し、うなづく仕草をするので、会話している気分になり楽しいです。「お母さん」と呼んでくれる日はいつだろう??海瑛が生まれてから様々な特徴を持った子どもさんを育てていらっしゃる方々と出会うことができ、本当に多くの『勇気・元気・笑顔』を分けてもらっているなあと感じています。いくつになっても心配事は絶えないでしょうけれど、皆さん笑顔で乗り越えて行きましょうね! |
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エンジェルのみなさんこんにちは。我が家は自称ガッチリのパパ。若づくりのママ。いつもニコニコのぼく。りゅうちんの3人家族です。 38週の時2256gで生まれました。陣痛の前から私の体調に異変が起こり通っていた病院ではなく岡崎市民病院で生む事になりました。そのおかげで、生まれてそのままNICUに入ることができました。生まれたばっかの子どもの顔を見て「あれ...まさか?いやいやそんなわけはない!!」と思っていました。 次の日、パパと2人、先生に呼ばれ話を聞くことに。「ダウン症の疑いがあります。」私は起き上がっていられない程の状態だったのに、あまりの衝撃で思わず起き上がってしまい、血の気が引きました...。「無理だ!育てられない!可愛がれない!」と正直思ってしまいました。先生から動脈管開存の事。ダウン症の特徴の事などイロイロ聞いて、そのままパパとNICUに。保育器に入っているちっちゃいりゅうちん。一生懸命生きていた。「この子は私が守る!!!」という気持ちになりました。 数日で動脈管開存も治り、私の体調も回復し、予定通り先に退院しました。それからは、毎日母乳を持ってりゅうちんに会いに行き、お風呂の練習をしたり、授乳をしたり、でも、吸う力が弱いからたくさん飲めなくて結局ほ乳瓶であげる事になって... 生まれて半月で退院したりゅうちん。家に帰ってきても寝てばっかりで、無理に起こして授乳。だんだん、ほ乳瓶であげるのが面倒になった私は、直接おっぱいを飲ますことにししました。初めは疲れて全然飲まずに寝ちゃってたけど、少しずつ上手に飲めるようになっていました。思ってたよりスクスク順調に成長してくれてます。 近頃、急に泣き虫になったりゅうちん。前より大きな音、子どもの泣き声に敏感になってしまい...。これも成長なのか?今までは平気で私から離れて遊んでたのに...。まっ可愛いからOK。2歳少し前から1人歩きも初めて、やっと念願の手つなぎデートができたのに、最近は手をつなぐのを嫌がったり、一瞬目を離したらいなくなってたりです。大好きな「おかあさんといっしょ」のDVDを見て、踊りをいつの間にか覚えて踊ったり、歌ったり。といってもまだお喋りはできません。語尾を言うくらいです。4月から言語のリハビリも始まり、次の目標は「ママ」と呼んでもらうことです。 生まれた時は、「いらない。」と思ってしまったけど、今はいなくなったら私はどうにかなってしまいそうなくらい大切な宝ものになりました。りゅうちんがダウン症で生まれてきたから、できた友達。気付けたことがあります。ホントりゅうちんには感謝です。 まだまだこれから、たっくさんの壁にぶつかるかもしれないけど、「コンニャロー!」とブチ越えていきたいと思います。これからもよろしくおねがいします。 |
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